はなをろうずればかおりころもにみつ
この語句は、掬水月在手 弄花香満衣 として禅語でよく知られた対句です。中国唐の詩人う良史の春山夜月にあります。
それを虚堂智愚が提唱に取上げたと云われています。春花の季節によい語です。
「水を掬す」とは、水をすくうこと、「花を弄す」とは、花と戯れること。
水を両手で掬うと、両手の掌の中に鮮やかに月が映っているではないか。
道に咲く花があまりに美しいのでちょっと戯れると、その香りが衣に移って、いつまでもいつまでも花の香りを楽しむことができる。
水を掬えば仏法の光が輝き、花を弄すれば仏法の教えに触れる。
すなわちいつでも、どこでも、見るもの、聞くもの、在るものすべてが何一つとして仏法の真理から離れたものは無いことを言おうとしています。
ただ私たちは、それに気づかないだけです。
心がそこにないから、水を掬っても月に気がつかず、花を弄して衣の香りに気がつかずにいる、ということなのです。
大徳寺 孤篷庵の前住職、小堀卓厳 の一行書になります。
大変貴重です。
定価230,000円の所、100,000円で販売致します。